大阪府では緊急事態宣言が解除となりまして、ホッとした方も多くいらっしゃると思います。今日からが”コロナ後”の新しい日常になるのかしら?
いえいえ、まだまだ感染者が出ている状態ですし、発表されていないだけで(検査されていないだけで)無症状の感染者もいらっしゃるはず。かく言う私も、絶対に感染していないとは言い切れないですし…
コロナ”後”かどうかはともかくとして、しっかり予防をしつつウィルスと共存していく、という意味では今までとは違う「新しい日常」なのかもですね。
さて、自粛期間中はTwitterでせっせとコロナの情報収集をしていたのですが、未知のウィルスのせいか、医療の専門家と言われる人たちの中でもかなり意見が分かれていました。
初期には「インフルエンザより致死率が低いので恐れる必要はない」と言う意見もあれば「感染率が高いので恐ろしいウィルスだ」と言う意見もあり、
PCR検査に関しても「疑わしい人は全員検査をすべき」「いや、感度が低く、偽陰性や偽陽性が出るのでやらない方がいい」と意見が分かれたり、
一体どっちなんだろう? 恐れた方がいいのか、それとも普通に生活していればいいのか、なかなか判断がつかない状態でした。
そんな中、私の中で判断材料にさせて頂いたのがIPS細胞の研究で知られる山中伸弥教授のブログ。
教授のブログに「新型コロナウイルスに感染しても、多くの場合は症状が出ないようです。(中略)一方で、一部の患者さん、特に高齢者や糖尿病などの持病をお持ちの方には、同じウイルスが牙をむいて襲い掛かります」との記述があり、「2つの顔を使い分ける狡猾なウィルス」だと、やっとその時理解出来たんですね。
つまり、自分は感染しても軽症で済む可能性が高いから、自分のことだけを考えたら、今まで通りの生活を送っていればいい。でも、リスクの高い誰かに感染させてしまうことを想像すれば、かなりの行動制限が求められる、ということ。
その後、国立環境研究所の五箇公一先生というダニの研究をしていらっしゃる先生がテレビで興味深い発言をされていてネットで調べたところ、ちょうどコロナに言及されている記事があり、その中でも同様の発言をされていました。
「このウイルスは、例えばエボラとは違って『かかった人が死ぬ』という恐怖でなく、『相手を殺すかもしれない』という恐怖をもたらします。その一方で『自分が大丈夫ならいい』というエゴももたらすのです。
だから、このウイルスを制するのは『利他行動』(つまり相手を思いやる心と行動)をちゃんと人間がとれるかどうかにかかっている。それは、先ほど言った、人間の『今の自分が一番大事』という性から抜け出せるかどうかにかかっている。」
私は、その記事を読んでから「自分は感染しているかもしれない」を常に頭の中に置いて、買い物や電車ではなるべく高齢者の方から離れるようになりました。また、私たちの世代は親が高齢の人が多いので、お友達と会うのも控えるようにもなりました。恐らく、同じように家族や友人など「誰かに移さないために」行動していた方も多かったんじゃないかなと、もちろん緊急事態宣言の効果もあると思いますが、それが日本はそんなに感染者が増えなかった理由の一つじゃないかしらと思っています。
その後、病院で必死に働いていらっしゃる医療従事者の方に対する偏見やコロナ感染者に対する差別・攻撃など悲しくなる事象も起こりましたが、一方で、大阪府の医療従事者への支援に10億円もの寄付が集まったり、病院に差し入れが届けられたり、心温まる出来事もありました。
分断と繋がりの両極端があぶり出されたのが、今回のコロナ騒動だったのかもしれません。
幸い、日本ではコロナの第一波は何とか乗り越えられたようですが、山中教授もおっしゃっているように有効なワクチンや治療薬が開発されるまでは油断大敵、手洗いやマスク、三密を避けるなどの予防をしっかりして自分も感染しないように、誰にも感染させないように、「油断しないで生活を楽しむ」という、新しい日常のスタイルで行きたいですね(^^)