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「当たり前の日常」が当たり前じゃなかった日

 

今日は、阪神淡路大震災が起こった日でした。

 

あれから、もう26年になるんですね。

 

 

私は、神戸市内で暮らしていましたが、市街地から遠く離れた郊外でしたので、被害は少なくて済みました。周囲もお墓が崩れていたり、屋根が落ちている家があったりしたぐらいで、「これぐらいで済んでよかったね~」と近所の人たちと話し合ったぐらいです。

 

その頃は、インターネットがまだ普及していなかったので、電気が遮断された時の情報源はラジオのみでした。ラジオって、状況がイマイチ掴めないんですね。耳で聞いても映像を見るまでは実感が湧かないというのか。午後になって電気がいち早く復旧してテレビを点けたら、高速道路が倒壊していたりビルが倒れていたりの悲惨な現状が目に入って、茫然としたのを覚えています。

 

被害も少なく、幸い家族も親戚も友人も無事だった私でも心の痛みを強く感じたあの日。「当たり前の日常」は決して当たり前じゃないんだなと、明日がどうなるかは誰にも分からないんだなと、痛感した日でもありました。

 

それ以来、水だけは気を付けて常備しています。あの時、電気とガスは早く復旧したものの、破損した水道管だけはなかなか復旧せず、水の確保に母が奔走していたのを覚えているからです。

 

 

そして、今のコロナ禍。「当たり前の日常」が当たり前じゃなかったと、多くの方が実感されているのではないでしょうか。

 

一日一日、生きているのを当たり前と受け止めずに、この瞬間瞬間を慈しんで生きていければいいですね(*^^*)