”地下鉄サリン事件から26年”に思うこと

 

とうとう、うちの近所でも桜が開花しました!

 

桜が咲いてくれると、一気に春が来た気持ちになりますね~(^^♪

 

 

さて、今日3月20日は春分の日でもありますが、地下鉄サリン事件が起こった日でもあるそうです。

あれから、26年も経つんですね…

 

私は、あの頃はスピリチュアルには全く興味がなく、物質界バリバリと言いますか、綺麗に着飾って男性にモテたい、仕事でも成果を出せるようになりたい!と意気込んでいた時代でもありました…(^^;) なので、オウムにも全く興味がなくて、カルトがひどい事件を引き起こしたんだなあ…と思った程度でした。

 

それが、何年か前に、地下鉄サリン事件後の教団に密着した森達也監督のドキュメンタリー映画「A」と「A2」を立て続けに鑑賞したことをきっかけに、急にオウム事件の背景が知りたくなって、村上春樹さんの「約束された場所で (underground2)」や島田裕巳さんの「オウム真理教事件〈2〉カルトと社会」、そして元信者の方のブログを片っ端から読んだりしました。

 

そうすると、自分がもう既にスピリチュアルな世界にどっぷり浸っていたからというものあるのですが、マスコミが報道するような「洗脳されたカルト教団が暴走して」というシナリオとは違う側面が見えてきたような気がします。

 

いろいろ思うところはあるのですが、一つには「私たちの本質は魂で何回も何回も生まれ変わっていて、死は一つの人生から次の人生への移行に過ぎない」という考え方が背景にあるんだろうなと。つまり、輪廻転生ですね。

 

これは、私の中では真実なのですが、この視点から見ると、麻原彰晃の「ポアしてしまえ」の理屈が、良いか悪いかは別として理屈的には理解出来てしまうんですね。なぜなら、”肉体の死”はあくまでの肉体が無くなるだけで、魂が死ぬわけではないから。

 

けれど、それは、あくまでも理屈であって、同じ一人の人間である麻原彰晃氏が、いくら肉体の死が移行に過ぎないからと言って、一人の人生を終わらせてしまって良いのかというと、私は絶対にそれは違うと思います。”最終解脱者”と言われていたそうですが、本当に悟りの境地に至った方達は、パラマハンサ・ヨガナンダにしてもラマナ・マハルシにしても、現代のアジャシャンティにしても、語る言葉は愛に満ちていますし、自分を絶対視していません。「真我がすべてであり、あなたもそうなのだ」と、皆に語りかけてくれています。

 

 

また、「神々が私にやれと言うんだよ」と麻原氏が言っていたと、ある弟子の証言をどこかで読んだことがあるのですが、変な存在と繋がってしまったのかなという印象も持ちました。

 

本物の高次の存在は絶対的な愛と光なので、誰かの人生を終わらせていいなんてことは絶対に言わないはずなのです。私が瞑想やヒーリングで繋がる存在は「どんなに悪い人のように見えても、その現れは愛である」と語ります。それは、私のヒーリングの師匠を始め、いろんなヒーラーさんやチャネラーさんの意見とも一致します。

 

 

なので、やはり、誰か一人を”絶対的な存在”として崇めるのではなく、誰か一人に権威を預けてしまうのではなく、一人一人が自分の中にしっかりした判断基準を持つ。それは、できれば自我の理性ではなく、自我を超えた、何でも分かっている賢者の自分、”ハイアーセルフ”とも”内なる導き手”とも言ったりしますが、言葉はどうあれ、自分の中の絶対的な霊的な良心と繋がることが大切じゃないかなあ…と、つくづく思います。

 

そして、もし、この記事を読んでくださっている方の中に、目に見えない存在とのコンタクトが始まっている方がいらっしゃったら、覚えておいて頂きたいのは、高次元の存在は絶対的な愛だということ。他の人や他の生きとし生けるものを傷つけるようなアドバイスをしてくるような存在は、悪意に満ちているか人間を混乱させるのが目的の低次元の存在なので、そこを基準にコンタクトを楽しんで頂きたいと思います(*^^*)