みんな、それぞれ違っていい!

 

今週は、私の誕生日でした。

 

今年は、有難いことに3人のお友達から、それぞれ素敵な花束を頂きました。

 

それを花瓶に生けて、しげしげと眺めていましたら、こんな言葉が浮かんできました。

「みんな、それぞれ違っていい」と。

 

 

もし、花瓶の中にバラだけが3本入っていても、カーネーションだけが何本か入っていても、それはそれで綺麗だけれど、カーネーションはカスミソウが隣にある事で美しさがより引き立つし、バラもカーネーションとの対比でより華やかに見えますよね。

 

そして、カーネーションはバラの方がゴージャスに見えるからと言って、バラになりたいとも思っていないはずだし、バラも清楚に見られたいからカスミソウになりたい…なんて思っていないですよね、たぶん(*^^*)

 

人間だけが、他人と比べて「あんな風になりたい」「あの人の様に成功したい」とか思うんでしょうね…

 

かく言う私も、昔は結構他人のことをうらやんでました(^^;) 「あんな顔に生まれたかった」とか、「あの人みたいに素直で愛されキャラだったらよかったのに」とか、「親がもっと穏やかに優しく接してくれていたら、こんな人生じゃなかったのに」とか…思い出すのも恥ずかしいですが。

 

 

日本は、住んでいる人のほとんどが日本人なので、いろいろ比べてあれこれ思いやすい、というのがあると思うんですね。海外に出てしまうと、多種多様な人種で構成されている国が多いので、違いがあって当たり前になるんですが。

 

私もニュージーランドとオーストラリアにそれぞれ1年暮らしている間は、ものすごーく楽でした(^o^) それこそ、先住民族以外はみんなが移民ですから、イギリス系もいればアジア系もいるし中近東系もいるし、外見や文化、食べ物や習慣がすべて違うわけですし、その中で仲良くやっていくには、その違いを認めるしかないわけです。

 

そうして違いを認め合った後に、今度は同じ人間としての共通点、つまり”困った時は助け合おう”という気持ち”や”人としてこれはあかんやろ”という基準は一致するよね、というところで繋がれる。

 

 

そして「みんな違ってて当たり前だよね~、違ってて、いいよね~♪」という境地に至って帰国するわけですが、周りがみんな日本人という環境に戻ると、また人と比べて落ち込む思考パターンにハマってだいぶ苦しみました(^^;)

 

そして、それから20年近く経ってようやく、人と比べて自分を上げたり下げたりする思考があまり起こらなくなってきたわけですが、それがつい最近のこと。

 

それは、誰の奥にも”すべてに気づいている大きな意識”があって、そこでは皆が一つに繋がっていて、みんながその”気づきの意識”と日常を普通に生きている自我の意識との間を行ったり来たりしていることが分かった時、人と人の違いを生み出しているものがワンネスから現れているユニークなエネルギーパターンなんだと、”生命の源”と呼べるような一つの大きな意識があって、その意識から個々のユニークな魂がエネルギーパターンとして出現して、それが肉体をまとって、それに自我意識と呼べる思考や感情がくっ付いて来ていて…という、壮大なからくりが分かった時に、「みんな違っていい!」という肯定的な感覚がわーっと広がってきたんですヽ(^o^)丿

 

なんのこっちゃ?と思った方、ごめんなさい。まだ言葉では上手く説明ができないのです… でも、いつか、もっと自分がクリアになって、もっと明確な言葉としてお伝えできるようになったら、それを体感として実感して頂けるような講座をしたいなと。そして、気づきの意識に目覚めた方を何らかの形でサポートしたいと強く思っていますので、どうか待っていてくださいね。