広大な意識の私と小さな自我の私

 

今年も、またベランダのハイビスカスが花を咲かせてくれました。

 

去年は暖冬だったので12月まで咲いてくれていて、たった4か月ほどの休眠期間でした。でも、私のところに来てくれて早や15年、今年も元気に頑張ってくれています(*^^*)

 

 

このところ、新型コロナのインド変異株が大阪でも兵庫でも市中感染が起こっていそうだとか、入管の施設で人を人とも扱わないような事が起こっているとか、イスラエルとパレスチナの武力衝突で子どもがたくさん亡くなっているとか、日々いろんな悲しいニュースが流れてきて、それを目にする度に”小さな自我”のさゆりはあの世に還りたいと思ってしまうわけですよ。もっと平和な星に生まれ変わりたいって(^^;)

 

でも、ふと私の中の広大なハートのスペースに立ち返ると、”すべては良いも悪いも無くて、ただ経験があるだけ。一見悲しく見える出来事と生きる喜びが感じられるような出来事が同時に起こっていて、光も闇も同時に存在していて、それが世界であり全体性”だと。

 

その全体をハートの空間からただ眺めると、個々の魂がただいろんな経験をしているだけで、それぞれがユニークなエネルギーパターンとして現れているだけで、そのすべてが愛おしく見えてくるんですよね。

 

こんな風に、私も”広大なスペースとしての意識”と”小さな自我”との間を行ったり来たりしています。喜びも悲しみも同時にあって、”小さな自我の私”はそれに泣いたり笑ったりしながら、そして”広大なスペースとしての意識の私”はそんな”小さな自我の私”を微笑ましく見守りながら。セッションの時は、ヒーリングやクレニオセイクラルワークをしている時はほぼ広大な意識の方の私で、お話を伺っている時は行ったり来たりをしながら聴いています。

 

この行ったり来たりが、いつまで続くのかは分かりません。もしかすると、ある時点で広大な意識が浸透していって、小さな自我がどんどん引っ込んでいくのかもしれません。そうなると、きっと別人のようになっていくのかな? 

 

ただ確実に分かってきたことは、人間の意識にはいろんなレベルと言うのかレイヤー(層)と言うのか段階のようなものがあって、それぞれを知覚するのはきっと誰でも出来るんですよね。思考に邪魔されずに、ただ感じて知覚することが出来さえすれば。その為には多少努力がいるかもしれませんが、そうやって思考を介さずに人間という存在が多次元に存在することを実感した時に、人間の奥深さ、世界の、そして宇宙の深遠さが理解できるんだろうなと思うのです。

 

もちろん私もまだまだですので、早くその理解がクリアになって、皆さまにお伝え出来ればいいなあ…と思っています。