安倍元首相の銃撃事件で、ある宗教団体がクローズアップされている中で、何だかスピリチュアルって、すごく誤解されてるよね。。。と思うことがあります。
まあ、もともと目に見えない事柄なので、怪しく思われる面もあるのでしょうけれど、霊感商法だとか人の怖れを煽るようなやり方をしている何か(ジャンルを問わず)などを”スピ系”などと一緒くたにまとめられているような言説を見ると、全然違うよねとびっくりしてしまいます(^^;)
スピリチュアルを怪しいと考える人達でも、お盆とかお彼岸とかに普通にお墓参りに行ったりするんじゃないかなあ。。。”人は死んだらそれで終わり”と本当に思っていればお墓参りもしないはずですし、一周忌、三回忌といった供養も行わないはず。
また、神社に行ってお賽銭を払ってお願い事をする人も多いでしょうし、そもそも日本人は森羅万象に神様を見出していた民族でもありますし、今でも普通にご来光に手を合わせたりしますよね? きっと、元々スピリチュアルが自然に身についていたんじゃないのかな。。。なんて、思うのですよね。

それが、人の不安や怖れにつけ込むような一部の人達のせいで、スピリチュアルが怪しくて警戒しないといけないものになってしまっているとしたら、何だか残念な気持ちになります。
私が長年学んで実践してきた中で思う”スピリチュアル”は、誰の中にもある神様のような神聖な本質を呼び起こしてくれて、そして、自分一人の力で生きているんじゃなくて人智を超えた大きな力の中で、他の生命と繋がって生かされていることを思い出させてくれる何か、なんですよね。
だから、守護霊や天使の声が聞けたり、オーラが視えたり、人の前世が分かったりといった能力だけがスピリチュアルというわけではないし、その自分の中の神聖な部分を大切に生きている人が”スピリチュアルな人”なんだと思います。
なので、いくら人のオーラが視えて前世を読み取る能力があっても、守護霊のメッセージをチャネリングする能力があったとしても、「私の言うことを聞かないと、地獄に落ちるわよ」みたいな人や、自分の利益の為だけに何かを売りつけたりするような人はスピリチュアルな人とは言えないと思うんですよね。
逆に、そうした能力が一切なくても、自分は何か大きな力に生かされていると感じていて、生かされていることに感謝して、誰か人の為になるような生き方をしているような人は、ものすごくスピリチュアルな人なんだと感じます。その”大きな力”を”神様”と呼ぶ人もいれば”自然”と呼ぶ人もいるでしょうけれど、何か人智を超えたものがあって、それに対して謙虚でいられるというか、自我の自分が物事を動かしているんじゃない、というのが分かっているというか。昔、自主上映会によく参加していた映画「地球交響曲」に出演されていた方達も、きっとそんな方達だったのではと思います。
と、ここまで書いたところで、久しぶりに地球交響曲のHPを見てみましたら、最新作の第九番が去年から上映開始されていたなんて! しかも、大阪の上映会が今年の5月だったなんて。。。がっかり( ;∀;) 8月7日に、和歌山県新宮市で上映会があるそうですので、お近くの方は是非お出かけくださいね。
ちなみに、私が一番心に響いたのは第三番で、あの映画を見てから星野道夫さんの大ファンになりました。第三番の上映会もたまに開催されているようですので、そちらも是非(*^^*)