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現実も”流れ”

 

前回のブログで、身体のあらゆる部分が合成と分解を繰り返して、1年経つと物質レベルでは、ほぼ今の自分とは違うものに入れ替わっていることに触れましたが、ミクロのレベルで見れば、変化していないものなんて何にもないんですよね。。。

 

1年経っても何にも変化しているように見えないコンクリートの建物も木のテーブルや椅子も、原子のレベルで見ると段々と朽ちていく方向に向かっていますし、海底のプレートが動き続けているので、私たちが立っている地面も少しずつ動いているんですよね。

 

社会に目を向けても、急にコロナ禍が始まって、人となかなか会えなくなったり、リモートワークが進んだり、マスクを常用しないといけなかったりとライフスタイルが変化して、しかもロシアのウクライナ侵攻が起こって。。。と、この3年は様々な大きな変化がありましたよね。

 

 

でも、その中でも、1つだけ変わらないものがあります。

 

それは、私たちの本質なんです。

 

 

私は変わった子どもで、物心ついた頃から「どうして、私はここにいるんだろう。。。?」って、ずっと考えているような子どもでした。ふっと”今この瞬間”に意識を切り替えると、その直前とは全く違う意識になるのが面白くて、ずっとやっていたり。

 

今思えば、自分の本質の意識を垣間見ていたんだろうなと思います。その時は分からなかったけど。

 

 

非二元(悟り)のティーチャー達が語っているのは、私たちの本質は”気づきの意識”であると。そして、5歳だろうと20歳だろうと、50歳だろうと80歳だろうとその意識だけは変わらないんだそう。私の経験を振り返っても、その子どもの頃に気づいていた意識と今の意識は同じだなあ。。。と思います。

 

そして、その本質である”気づきの意識”の方に意識レベルがシフトすると、世の中で起きているいろんな変化をただ眺めて受け止めている、穏やかな目線に気づくんです。今起きている戦争もいつかは終わるだろうし、人々の意識も変化していくし、今傷ついている人達もいつかは癒えていく。常にいろんなものが変化し続けるし、すべては”流れ”だと。

 

 

物価はずっと上がり続けているし、家族が認知症や病気になったり、トルコ・シリアの地震やルフィの強盗事件などのショッキングなニュースを見たりするなど、私たちは世界(外部)からいろんな衝撃を受けてオタオタして(当然、私もしています)、世の中や自分の周りは悪くなる一方じゃないかと急に不安になったりしますが、そういう時って、その”衝撃的な現実”だけを切り取って見てしまっているんですよね。視野が狭くなっている感じで。

 

でも、何一つ固定された現実はなくて、すべては移り変わっていて、状況はどんどん変わっていくんですよね。物価は上がるけど、お給料も上がるかもしれないし、もしかするともっとお給料の良い仕事に転職できるかもしれないし、副業や投資が上手くいくかもしれない。家族の病気や認知症もいろんな公的または周りからのサポートが得られていくかもしれない。そうしたオプションは、静かに自分の内面に入っていった時に見えてきやすいんですよね。

 

そして、いろいろ騒がしい思考が収まっていって内面がじっと静かに穏やかになった時、外でどんな変化が起きても落ち着いている、大丈夫な自分を発見できるんです。それが、本質である”気づきの意識”かもしれないですね。

・・・と、こんな事を書いている私も、今日は支援しているSSJ(スタンドウィズシリア・ジャパン)のウェビナーに参加して、長年に渡って抑圧されているシリアの人たちが「食べ物とテントが欲しい訳じゃない、人間としての尊厳をちゃんと認めて欲しい」と訴えているのを知り、憤りと悲しみとでいっぱいになっていました(>_<) 

 

でも、現実は常に移り変わっているし、こうした私の一つの記事でも何かその変化の役に立てるかもしれない。。。そして、私たちの中の一人でも多くの人が自分の本質に気づいていくと、その気づきが波のように広がって行って、暴力や戦争を引き起こす集団無意識の怖れを包み込んでいってくれるかもしれない。

 

 

また静かに自分の本質に立ち返った時、何だかそんな確信が出てきました。 現実は流れているし、その流れに私たち一人ひとりが良い影響を及ぼしていける。だって、私たちの本質は、本当には愛だから。